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大山功一

提供:ポケモンWiki
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ウィキペディアにも「大山功一」の項目があります。

大山 功一(おおやま こういち)は、ゲームデザイナー、アートデザイナー、絵本作家、カードデザイナー。「ポケモンカードゲーム」や「ポケモントレーディングフィギュアゲーム」の生みの親として知られる。

人物

ポケモンカードゲームの開発メンバーのひとりとして知られ、「生みの親」として紹介されることもある[1]。1994年に任天堂より発売されたコンピュータゲーム『MOTHER2 ギーグの逆襲』の開発をともに行っていた石原恒和とはポケモンカードゲーム開発以前から親交があり、ゲームデザイナーの三浦明彦とともに複数のカードゲームを共同開発したことがあった[2]

プロデューサーとして『ポケットモンスター 赤・緑』の開発に携わっていた石原から『赤・緑』をトレーディングカードゲーム化する提案を受け、大山がメインのゲームデザイナーとなって石原・三浦明彦とともに原型のデザインを行った[2]。開発時には、ゲームデザインのほか多くの人から募ったアイディアを整理し、テストプレイを通して採用するか決定する役割も担っていた[2]

大山自身もいくつかアイディアを出しており、石原が当時書き下ろした仕様書に記載されていた、当時15種類存在していたタイプを7種類へ統廃合するアイディアに対して「無色タイプも必要だ」と書き加えたり、エネルギーについて「ポケモンカードゲームは親子で遊んでもらいたい」という考えから年齢の影響を受けないシンボルマークの導入を行ったりしている[2]

ポケモンカードゲームには、Dr.オーヤマというキャラクターに扮してコロコロコミックなどにメディア出演したり、「OOYAMA」あるいは「Dr. Ooyama」名義でポケモンカードのイラストを担当したりして携わっている。ポケモンカードゲーム25周年記念であるピカチュウV-UNION (S8a)に寄せたスペシャルコメントでは、元々ポケモンカードゲームのゲームルール作りに携わっていたが、オーヤマのピカチュウのイラストを手掛けたことで、イラストを頼まれるようになったと語っている[3]

2007年頃には、石原から「フィギュアを使ったポケモンのゲームはできないか」と提案を受け、アナログゲーム「ポケモントレーディングフィギュアゲーム(PFG)」を三浦昌幸とともに開発し、海外で販売・展開された[4]。2016年には、PFGを基にしたスマートフォンアプリ『ポケモンコマスター』が制作され、三浦昌幸とともにゲーム部分のアドバイザーとして開発に携わった[1]

Pokémon Trading Card Game イラストレーションコンテスト 2024で審査員を務める。

作品

クレジット

脚注

  1. 1.0 1.1 『ポケモンコマスター』の優秀すぎるAIの秘密に迫る。開発陣イチ推しのポケモンは?、2016年4月29日公開。
  2. 2.0 2.1 2.2 2.3 元宮秀介「ポケモンカードゲーム発売20周年 特別座談会 『トップクリエイターが振り返るポケモンカードゲームの20年間』」『ポケモンカードゲーム アートコレクション』オーバーラップ、180-183頁。
  3. ピカチュウ大集合|ポケモンカードゲーム25周年記念サイト
  4. 【インタビュー】『ポケモンコマスター』開発陣が語る“楽しみ方”が深すぎる!全ポケモンが活躍できるシステムの真髄とは | インサイド、2016年5月7日公開。
  5. 5.0 5.1 5.2 大山功一 | 教員紹介 | 成安造形大学
  6. 6.0 6.1 オーヤマゲーム(@ooyamasgame)の投稿、2022年2月1日投稿。
  7. オーヤマゲーム(@ooyamasgame)の投稿、2019年5月20日投稿。
  8. My151キャンペーン、2019年2月15日時点のInternet Archive。

外部リンク

関連項目