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山内溥
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山内 溥(やまうち ひろし、1927年11月7日 - 2013年9月19日)は、実業家。任天堂第3代社長。
人物
任天堂初代社長・山内房治郎の曾孫[1]、第2代社長・山内積良の孫として生まれ、後継ぎとして育てられる[2]。大学在学中の1947年に同社取締役に就任し、1949年に積良が病に倒れたため大学を中退して第3代社長に就任する[2]。ファミリーコンピュータやゲームボーイなどの成功により任天堂を世界的な企業に成長させ、2002年に岩田聡に社長職を譲り同社相談役に就任した。2013年9月19日、肺炎のため85歳で死去した。
1998年頃、『ポケットモンスター 赤・緑』の成功を受けて、ゲームフリークや石原恒和ら開発者が次作である『ポケットモンスター 金・銀』の制作に注力し、石原ら開発者側が「日本以外の国に展開することを全く考えていなかった」時期に、次作の制作を行いつつ『赤・緑』をアメリカでも発売するよう指示した[3]。その指示を受けて岩田が尽力した逸話とともに後年石原が述懐している[3][4]。
クレジット
本編作品
- ポケットモンスター 赤・緑 (1996) - エグゼクティブ プロデューサー
- ポケットモンスター 青 (1996) - エグゼクティブ プロデューサー
- ポケットモンスター ピカチュウ (1998) - エグゼクティブ プロデューサー
- ポケットモンスター 金・銀 (1999) - エグゼクティブ プロデューサー
- ポケットモンスター クリスタルバージョン (2000) - エグゼクティブ プロデューサー
外伝作品
- ポケモンスタジアム (1998) - エグゼクティブ プロデューサー
- ポケモンカードGB (1998) - エグゼクティブ プロデューサー
- ポケモンスナップ (1999) - エグゼクティブプロデューサー
- ポケモンスタジアム2 (1999) - エグゼクティブプロデューサー
- ポケモンピンボール (1999) - エグゼクティブプロデューサー
- ポケモンスタジアム金銀 (2000) - エグゼクティブプロデューサー
- ポケモンアニメカード大作戦 (2001) - エグゼクティブプロデューサー
脚注
- ↑ "山内溥|人物|NHKアーカイブス". NHKアーカイブス. 2023年8月28日閲覧。
- ↑ 2.0 2.1 日経ビジネス 編集部 (2022年3月31日). "花札から始まった任天堂 独自の事業展開で急成長、新規市場も開拓". 日経ビジネス電子版. 2023年8月28日閲覧。
- ↑ 3.0 3.1 TAITAI, 増田雄介 (2015年12月29日). "【岩田 聡氏 追悼企画】岩田さんは最後の最後まで“問題解決”に取り組んだエンジニアだった。「ゲーマーはもっと経営者を目指すべき!」特別編". 4Gamer.net. 2023年8月28日閲覧。
- ↑ 土本学 (2016年2月27日). "ポケモンが現実世界と仮想世界を繋いでいく、20年目の挑戦・・・株式会社ポケモン代表取締役社長・石原恒和氏インタビュー". インサイド. 2023年8月28日閲覧。